風景の日記2

風景の日記(ダイアリー)をインポートしたブログです。

小樽余市間の道を思う1

今朝通院のため札幌へ。そして孫とひさしぶりに遊ぶ。その後、かみさんと札幌駅近くで食事。
その後、偶然書店で尾崎 功氏の「北海道海岸線 地名めぐりの旅 新旧地形図が語る100選」(北海道出版企画センター、2006)を手に取り、そして購入。
本には小樽西部(p56、57)として余市(明治29製)と小樽西部(平成3修)の二図が掲載されていた。どちらも現在の小樽市桃内と長橋間を示していました。
まえがきには、「約100年前の陸地測量部発行のアイヌ語地名で覆われた「陸測5万図」と、最新の国土地理院発行の同図幅を比較することにより、地名がどのように付けられ、地域がどう変容したかを検証した」とありました。
この本で小樽・余市間の一部である桃内・長橋間の道の変容の一端を知ることができました。
一方、先日小樽市立図書館で借りうけた「忍路郡郷土誌」(忍路郡郷土誌編集委員会編集、塩谷村役場発行、1957)によると余市・小樽間の道路開発の変遷は以下のように要約される。塩谷村は1958年4月に小樽市に合併。

1.安政二年四月、堀が西蝦夷地の道路開発の大計画を立てて幕府に差し出した意見書によると、忍路郡を通り西は余市へ東は高島(小樽市)、小樽へ通ずる道路については新しい路線の開発すべきことをその書の中に織り込んでいるという。
2.この結果、命を受けて安政三年忍路場所請負人西川徳兵衛と出稼ぎ人たちが私費を投じて余市小樽間の新道の開発に着手した。
3.従来忍路から高島を経て小樽へ何処を通って往来したかはっきりしない。
4.が、安政三年五月五日、松浦武四郎の「忍路運上家より高島へ山路を試みんと出立つ」の日の日誌に忍路運上家→ツコタン浜(現在の国道5号線忍路中央バスのバス停近く)→磯伝いに「ワシリ」を歩いて桃内→チャラツナイの山路→塩谷の浜辺→川にそって丘に上がる→イナホ沢付近→高島へ到着とあるので、この経路が新道開発前の道と推測される。
5.開発した道路は西は余市境から東は高島境に至る長さ三里三十町十二間、幅二間の山路で、のちに西川家では毎年春秋弐二回道の修繕を加えたという。
6.ただし、忍路郷土誌には開発した道路の具体的経路が記載されていない。

また、尾崎氏の余市(明治29製)の図では桃内から忍路へは磯伝い(現在の国道5号線)の道ではなく、現在のフルーツ街道に近い山道が示されている。そして小樽へはチャラセナイの山道→塩谷の浜と伊藤整氏の文学碑がある丘への二つの道→川沿いの道→イナホ沢→オタモイノ沢→長橋なえぼ公園→ここからすこし行って二経路あり、ひとつ手宮へもうひとつ現在の小樽駅方面へ(小樽市総合博物館運河館にある明治八年の地図にはこの道はない)となっている。

この日記では2005年6月24日に「文豪幸田露伴句碑」、2006年7月15日に「忍路湾・余市湾」、2006年9月21日に「忍路高島」、2007年10月1日「旭展望台への遊歩道」でも記載したので興味がありましたら読んでみてください。

なお、画像は長橋なえぼ公園の近くの国道5号線を挟んだJR函館本線のそばの道から赤岩山方面を撮ったものです。画像の家々の下を塩谷から手宮・小樽への道があります。国道5号線の迂回路となっています。たぶん塩谷街道と思うのです。
忍路郷土誌の塩谷村全図や国土地理院のHPにある伊能忠敬蝦夷の彩色図(伊能大図彩色図:図名小樽番号020)にある道とも比較してみると余市・小樽間の道の変容の一端が分かります。